WEWILL

Special content 11 Oct. 2017
WEWILL INTERVIEW

2017年A/Wから第一歩を踏み出したWEWILL。
デザイナー・福薗英貴とWEWILLの代表を務める中野一憲が、
WEWILLの誕生から現在までを語ったインタビュー。
Interview&text: Masaki Uchida

CHAPTER.1     – ANTWERP –

WEWILLの誕生。それは出会いの地であるベルギーのアントワープで
福薗と中野が交わした或る約束に端を発していた。

—二人はベルギーのアントワープで出会ったそうですね。

福薗英貴    はい。2001年にアントワープで出会いました。僕はその前は1年間、パリでファッションの学校に通っていました。東京で在籍していた専門学校のパリ校進学コースだったんですが、半分ぐらいが日本人で、どうしても海外で勉強している気がしなかった。それである晩にすごく悩んで、翌朝、学校へもう来ない旨を伝えて、アントワープ王立芸術学院に行こうと決めました。

—同校はマルタン・マルジェラやクリス・ヴァン・アッシュ、ドリス・ヴァン・ノッテン、ラフ・シモンズなど名だたるデザイナーを輩出した名門です。当時、アントワープで学んでいる日本人は多かったのですか?

福薗    いえ、当時はそれほどいなかったと思います。でも僕自身、マルタン・マルジェラが大好きだったこともあって、押し掛けるように学院の門を叩きました。

中野一憲    僕は日本で普通に4年制の大学を卒業して、まず1999年にロンドンへ留学したんです。目標はデザイナーになることでしたが、いざ学んでみると「僕はデザイナーになれない」と早々に見切りがついた。でも当時大好きだったウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(※ベルギー出身のデザイナー。アントワープ王立芸術学院教授)にどうしても会いたくて、休みを利用してアントワープに渡り、彼のショップを訪ねた。すると幸運なことに本人がいたんです。そこから知り合って、やはり押し掛けるように彼のショップで働き始めました。

福薗    僕はアカデミーの3年生だったんですが、その時の担任がウォルターだったんです。

中野    そうしてちょうどアントワープでファッションのイベントがあった時、日本人同士ということで、ウォルターから紹介されました。

—ウォルターが繋いだ縁だったんですね。

福薗    当時はリンダ・ロッパが学長で、A.F.ヴァンデヴォルストのアン(・ヴァンデヴォルスト)が靴について教えに来ていたような頃でした。

中野    それから僕らは多くの時間を一緒に過ごすようになりました。そうして暫く経って、2002年に福薗が学院を卒業して、先に日本へ帰ることになりました。それで最後の晩、仲間たちで朝まで遊んだんです。その時、彼がふと「俺は将来、お前らと何か一緒にしたいと思っているから」と言ったんです。

—福薗さんはその時、直感からそう口にしたのですか?

福薗    ええ。その頃から自分たちのブランドを一緒にやりたいと思っていたんです。帰国後、僕は熊谷隆志(スタイリスト/ディレクター/写真家)さんの会社で働き始めて、やがてWHEREABOUTS(ウェアラバウツ)という自分のブランドを任されました。中野は僕が帰った一年後ぐらいに帰国していたので、カットソーの生産を彼の親父さんの会社(※株式会社ナカノアパレル。中野は現在同社の副社長を兼務)に発注して、取引先という関係性で服作りが始まったんです。

中野    彼のブランドのスタートと自分の帰国のタイミングが一緒ということに、僕はまた勝手に運命めいたものを感じていた(笑)。だからまだ帰国したばかりで右も左も分からなかった頃に、無理矢理引き受けたのを覚えています。

—お二人は同い年で先輩後輩というわけでもない。この関係性を説明するとしたら、どういう言葉が適当なのでしょうか?

福薗    学生の頃から、どちらかと言えば僕が遊び回る時に中野を連れ回す感じで、そのノリが今も変わっていない(笑)。

中野    そうですね。連れまわされる。だから関係性としてはずっと“連れ”なんでしょうね。

—“連れ”って、何かいい響きですね。

中野    普段はもの静かな人ですが、昔から福薗の周りには不思議と楽しい人たちがたくさん集まる。だから僕は連れ回されるのが幸せなんです。歩く速度も彼のほうが速いので、僕は後ろを付いて行くという感じだし。

福薗    僕は僕で、昔は連れ回される彼しか見てこなかったんですが、実際に一緒に仕事をしてみたら、彼のズバッとした態度や仕事の上での豪腕な一面を知って「ああ、意外と頼もしいヤツだったんだなあ」と感心させられています(笑)。

—ビジネスパートナーの中野一憲から見て、デザイナーとしての福薗英貴とは?

中野    デザインなりフォルムに個性があるので、福薗の服はすぐに分かる。あとは「これはそういうことだったのか」とか「ここまで考えて作っていたのか」と、後から“じわじわ”と効いてくる発見がたくさんある。どちらもデザイナーとして重要なポイントだと思います。

CHAPTER.2     – WEWILL –

WEWILLという名前。ブランドの誕生秘話と共に語られる、
その特徴的な造語の由来。そして“KROY WEN”について。

—二人がWEWILLの立ち上げを具体的に話し合ったのはいつ頃でしたか?

福薗    会社設立が2016年の5月12日で、その一年前頃からでした。

中野    福薗は幾つかの企業でメンズ/レディースブランドのディレクションを手掛けていましたが、自分のブランドが無かったので「そろそろどうだろうか?」と僕から提案しました。二人とも1976年生まれなので、2016年がちょうど40歳を迎えるタイミングでもあったし、何よりアントワープの最後の晩の言葉がずっと残っていたので。

福薗    彼の言葉を受けて、それならば新しいメンズブランドをやろうと決めました。レディースはレディースで自分が着られない、つまり人に着せるからこその楽しさがあるんですが、やはり自分に近いのはメンズという感覚なので。

—どういうブランドにしようかという具体的な話は?

福薗    それが全くしませんでした(笑)。

中野    うん。これはブランドがスタートした今日もそうですが、WEWILLのクリテイティブは福薗の頭の中から湧き出てくるものなので、原則的には全て彼に一任しています。

—WEWILLというブランド名の由来は?

福薗    ブランド名を考えていた時、“柳”がぱっと頭に浮かびました。実は何年も前の話なのですが、占い師の方に見てもらったことがあって、自分の前世が“柳”だと言われたんです。しかも「あなたのルーツは銀座にある」と(笑)。

—つまり“かつて銀座に生えていた柳”ということでしょうか?

福薗    そのようです。出身は熊本なんですけどね(笑)。僕自身、特に占いに熱心なわけでもないのに、何故かその言葉だけはすごく気になって、ずっと頭に残っていたんです。

中野    でも柳の雰囲気ってとても福薗らしいんですよね。線が細いけど幹はしっかりしていて、風に揺らされてしな垂れている感じも。

福薗    枝垂れ柳は英語で“Weeping Willow”なので単語を合体させて“WEWILL”に。二人で、スタッと一緒にやるという“僕ら”を指す“WE”と、“意志”“、未来”を指す“WILL”という言葉の意味も込められているので、「何かいいね」と盛り上がった。しかも調べてみたらオフィスを構えた中央区(銀座)の木も柳だったんです。

—ブランドを象徴するキーグラフィックの“KROY WEN”(クロイ ウェン)についても訊かせて下さい。これは“NEW YORK”(ニューヨーク)のスペルの逆さ読みですね。

福薗    はい。これはシンプルな理由で、ニューヨークが僕の一番好きな街なんです。だから“No.1”と入れてあります。銀座もそうなんですが、ものすごく居心地がいいんです。次に住むとしたらニューヨークに住んでみたい。あれだけの言語と人種が混ざり合っていて、良い意味で個人主義な感じがいい。“KROY WEN”はそこにいる架空の人名のようなイメージで作りました。

—アジア系の人物名みたいですね。アメリカン・チャイニーズとかにいそうな響きというか。

福薗    そうですね。それでいてぱっと見では何だか分からない感じが自分では気に入っていて。“KROY WEN UNIVERSITY”という架空の総合大学のロゴを作って、そこの生協で売っているようなイメージのグッズも幾つか作っています。

—WEWIILが洋服を通じて表現していく上での、根幹となる精神性とは?

福薗    自分が好きな服、自分が着たい服というのが大前提です。その上で、どこかに漠然とした“日本人っぽさ”を感じてもらえるクリエーションをしていきたい。

—“日本人らしさ”ではなく“日本人っぽさ”ですか?

福薗    そう。それは例えば和物の柄を取り入れるということではなく、精神性や手作業の世界観ということですね。僕は昔から日本の着物や建築が好きなんですが、“粋”や“侘び寂び”ということではなく、どこかそよ風に吹かれながら、凛として立っているような感じでしょうか。“何かいいよね”、“何か素敵だよね”といった、あくまで漠然と感じられる印象というのを自分の中で大事にしていきたい。究極的な理想は“デザインしていないようなデザイン”なのかもしれません。

CHAPTER.3     – IDEAL –

WEWILLの未来。それは王道にして独自性が反映された美学とプランから追求を目指す、
新しいメゾンとしてのプライド。

—水を差すわけではありませんが、ビジネス的な見地で言えば、周知の通りファッションをとりまく現状は決して楽観的とは言えません。「何故いまこのご時世に“わざわざ”新たなブランドを立ち上げるのか?」という意見もあるかと思います。

福薗    これも二人で始めた時から今日までの共通認識なのですが、僕らには「もし失敗したら」というイメージが一切無い。もちろん始めたからには順調に続けたいし、「絶対に成功する」という確信に満ちているわけでもなければ、無論「失敗してもいい」と思っているわけでもない。そもそもそんな余裕だってない(笑)。ただ「いまやるべきタイミングだと思った」ということです。いまは早く皆さんにたくさんの服を発表したい。本当にそれだけなんです。

中野    ブランド経営とは状況に応じて対応していくものだとは思います。でもその一方で「自分たちから発信する」というスタンスからブレないブランドが、いまこそ必要なのでは?という使命感を強く抱いています。自分たちから発信する側にこだわる。業界全般とまで大仰なことを言うつもりはありませんが、ブランド展開の原点であり王道のスタイルにこだわりを持っていきたい。

福薗    これはあくまで個人的な見解ですが、最近のブランドの流れというのは、歴史や商業規模的に強者と呼べるブランドが、それ以下を牽引しているように見えます。それと同時にラグュジュアリーとストリートの境界線が曖昧になっている気もします。「常に発信する側に」というスタンスを守ることで、メゾンとして、どうプライドを持つか。そこからカテゴライズされないWEWILLの独自性を追求していきたいとは思っています。

—2018 S/Sのコレクションテーマは“ THE MEMORY OF BEAUTY”です。

福薗    僕自身の“美の記憶”をテーマにしています。プリントでは画家でグラフィックデザイナーの鶴田一郎先生のイラストレーションを、ご本人の快諾のもとに使用させていただいています。かつてノエビア化粧品のCMで長年起用されていたのでご存知の方も多いと思いますが、僕が子供の頃に初めて女性を意識した絵がまさにこれだったのでお願いしました。

—自分も鶴田さんの美人像は、テレビCFを通じて強く刷り込まれた世代なので嬉しいです。やはりとても美しい女性像ですね。

福薗    そうですね。これをレディーズではなく、敢えてメンズブランドで服へと転化できたことに、自分なりの手応えを感じています。

—海外のカスタマーや女性からも注目を受けそうです。先ほど福薗さんが語られていた“日本人っぽさ”や“風に吹かれる”気分を象徴するモチーフとしても明快だと感じます。ちなみに福薗さん自身、WEWILLのレディーズ展開は考えていないのですか?

福薗    今はありません。もし将来あるとしても、別のブランド名になるんじゃないでしょうか。

—WEWILLの服は現在自社のサイトから購入できますが、既存のショップへの卸し売りは考えていないのですか?

中野    はい。これも立ち上げから二人で合意していました。特別なプランがない限りは、直販のみでいこうと。ただし、例えば自分たちでディレクションから参加できるポップアップとか、新しくブランドをアピールできる場については、前向きに取り組んでいきたいと思います。

—すると今後、直販のフラッグシップショップをオープンする予定は?

福薗    現在、WEWILLの第1号店を、アントワープに出店しようと準備を進めています。2018年中にオープンの予定です。これはWEWILLの始まりの場所からスタートしたいという想いからです。僕らのベースである銀座とアントワープを発信源の柱にしたいというのが僕らのプランです。

—では将来的には銀座周辺でもショップオープンを?

中野    そう出来ればと思っています。アントワープと銀座が連動して、クリエイティブを発信して、そこに人が集まっていくというイメージが理想です。これまでの仲間や将来的にそこへ集まる人々と、新しい表現に取り組めたらと考えています。WEWILLがそれを発信/紹介していく媒介になれたら素晴らしいと考えています。

福薗    ブランドデビュー以降、東京で2度のショーを行いましたが、どちらもファッションウィークの期間外です。これは自分たちが作ったものをすぐに発表できるスタンスと、海外におけるシーズン展開のサイクルを視野に入れた動きです。あとはニューヨークですね。アントワープ・銀座・ニューヨーク。このトライアングルを形成できたらというのが将来的な目標です。ぜひ多くの方々に注目していただけたらと願います。

( 2017年10月。銀座にて。インタビュアー 内田正樹 )
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